15年後を生きる

おやじの歴史

黙祷…2011.3.11東日本大震災、あの日の記憶。みんなそれぞれ大変な思いをしたであろう。あの日の事は今でもかなり鮮明に詳細に?覚えている。あと何年後かには忘れてしまうだろうか。きっと忘れる。最近はすぐに忘れることが増えてきているから、、、忘れる前にあの日の記憶の記録です。

今日も私は生きてます。

2011年3月11日、朝、いつもと変わらず出勤する。ここは半導体製造工場、F通と呼ばれている。平常運転、いつもと変わらず仕事する。午後は工場の中でPC仕事(システム周りの仕事だったかな)。工場内は防塵でゴミやホコリがない静電気も許さないエリアであり、頭の先から足の先まで完全防塵している(防塵着を着ている)そんな環境である。

午後2時46分、地震発生。

ちょうど工場から出るタイミングであった。ゴゴゴゴゴ、地鳴りが聞こえ、揺れだす。工場内放送が流れる、震度1です。どんどんデカくなる、震度4です。バカデカい、震度5…です。揺れる音が轟音になりもう何言ってるか聞こえなくなった。尋常でないレベルで揺れる。歩けない…更衣室につながるドアを開けたまま固まる。床から煙が吹きあがる。煙じゃない、塵かホコリか!どっちでもいい!凄まじい揺れ、、天井を這うダクト、ラック、大量のケーブル落ちるぞ、もう天井ごと落ちんじゃねえかって、初めて地震で恐怖した。強震は続く、長い、止まらない!Ha~Ha!乗ってくれ!Ha~Ha!矢沢永吉か、ようやく揺れがおさまり従業員全員避難である。避難訓練じゃない、本物のリアル避難。中庭に集まる。防塵着さみい。雪がちらつく寒さ、その日はとても寒かった。その後、駐車場に移動し車の中で待機、家への電話は繋がらねえ。実家の電話も繋がらねえ。誰かの携帯ワンセグで津波映像が流れ出す、気仙沼に津波、沿岸地域の広範囲に津波、は?俺の家にも津波か!?会社は混乱、復旧作業か!待つのか!帰っていいのか!どうすんだ!津波きてんぞ!帰るぞ!車をぶっ飛ばす。道路もところどころボッコボコ(危ない)4号線への道は大大渋滞。横道へ逸れ、田んぼ道を爆走する。何度も電話するが繋がらん。運転しながらの電話はダメ、ごめん。生きてんのか?どうなってる?心配しながら何度も何度も、、ようやく繋がる。生きてる、家に津波来た、家族みんな避難した。大船渡の祖父母も大丈夫、短い電話で切る。生きてればなんとかなる。ようやく岩沼へ、、岩沼ICの手前で警察車両が道路を塞ぎ、通行禁止。津波がきている、戻れと。先に進めず、家に帰れず、避難場所の玉浦中まで行けず。岩沼市民会館へ…防塵着を脱ぐとTシャツにジャンパーだけ。さみい。ガソリン足りねえ、暖房できねえな。暗くなる、はらへった。カバンの中にハイチュウが…夕めしハイチュウ。一夜を過ごした市民会館。避難者多数、震災男との出会い、毛布調達、ときどき余震、イスに座って寝る。そして次の日から避難生活へと続く。

人生が変わる(変わった)日、この日は忘れない。記録終了。

たくさんのものが壊れた日、悲しい日、本日プリンタ壊れた日、悲しい日、マゼンダ…出ろ…

そして、明日も生きる。

悔いなく生きる。

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